仕事の帰りに神保町に寄って色々と買いだめ。HJがカードゲームに転んで放り投げてしまったTRPGを拾ったのがエンターブレイン。で、クトゥルフのルールブックと資料集を少々購入。青柳氏、TRPG好きだったもんね。なんかTACコンでお会いして対戦したことあるよ(笑) 一緒の写真に納まって季刊になった頃のタクティクスに掲載された覚えがある。その頃私はHJのライターで青柳氏はファミ通のライターだったのかな。隔世の感があるなぁ。
そのほかではアフタヌーン(雑誌)。おお振りしかマジメに読んでないけど。今回は正確すぎるリードの裏をかかれる話。中日の落合監督、現役(ロッテ)時代の名言に「山田(久志)のシンカーは勝手に芯に当たる」ってのがあったけど、キャッチャーのリードがマトモすぎると、と正確なコントロールがかえってあだになるという話。また深いところに手を突っ込みますね、この作者。女性なのに(といっては失礼だけど)野球よく知ってるなー。というか上手く描くなぁ。
山田のシンカーといえば、江夏のフォーク、東尾のスライダー、江川のカーブ、平松のシュートと並び称された「魔球」の一つ。しかし悲しいかな、毎回正確に落ちるそのシンカーは、これまた打撃の天才である落合にとっては打ち頃だったんでしょうねぇ。漫画のキャッチャー阿部君がどうやってこれをしのぐか、野球ファンとしても楽しみな展開です。簡単に考えれば、カントクがリードを読まれていることを察知して、配球パターンを変えるとかに持っていくんでしょうけど、それじゃ青春ものじゃなくなってしまうからなぁ。(なんかあって)勝手に荒れ球になって、それを契機に阿部君がリードを替えるとかかな。今月号ではストレート主体に切り替えただけで、これは後半の切り札を前半に持ってきただけの応急策だから一試合持たないはず。球速のないピッチャーだから、工夫のしどころとしては、投球ゾーンをもう1球分広く使うことかなぁ? 今のところ、三橋君はストライク→ボール、ボールストライクの変化球が多かったから、ストライク→ストライク、ボール→ボールの変化球も使うとか。高校野球のレベルじゃねーなこりゃ(笑)
ところでアニメしか見てなかったので、帰りの漫画喫茶でコミック版(とゆーか原作の)「鋼の錬金術師」を読んだ。脚本の会川さんには申し訳ないけど、やっぱり原作の方が完成度は高いなぁ。まとまり感がある。一人で描いている漫画の勝利だわな。一瞬の演出ではアニメの方が凄いけど。あと、漫画の方がおねーちゃんが一杯出てきて、正直こっちの方がいいです、ハイ(笑)
お話としては、うーん、アニメは会川さんが会川さんなんで、エヴァの影から抜けようと、特に映画版なんか入れちゃうと、原作者が意識していなかったエルリック・サーガ(というかエターナルチャンピオンシリーズ風味)のところまで行っちゃっているけど、漫画はエヴァだなぁ。
エヴァというか、なんだろう、諸星大二郎的と思ってしまいましたよ。真実の扉って自分のココロではないだろうか。「燕見鬼」シリーズになっちゃった諸怪志異シリーズに、自分の中にはいる壷ってのが出てくるんですが、あれを思い出しました。仙人まであと一歩、という修行者が自分の中で練った胆を取るのに使うんですが、欲望にかられた中年夫婦のうち、ダンナは中から出てこられなくなり、奥さんは無理やり出てきて体が壊れちゃう。あれを思い出しました。
「ハガレン」の主人公兄弟のエドとアルが死んだ母親を再生しようと錬金術を駆使するけど、失敗しちゃう場面。エドは自我が確立しかかっていたのと、力があったことで片足だけもがれた。アルはまるまる飲み込まれた。で、飲み込まれた先ってのが、エドのココロの中じゃないかと思うんですよね。
アルはいつか、自力でエドの中に自分の身体を取り戻しに行かなければならないのではないかと。その時に、罪の意識から失ったエドの右手は戻ってくるんじゃないかなーと。脚の方はわからんです。
真実の扉というのは、今のところ、死者再生の場面でしか出てきておりません(グラトニーの腹から出る時はちょっと違うと解釈)。死者の再生というのは、魂と身体と精神がないとダメとありますが(うわーすごいエヴァ的)、精神は持って来ようがないので、多分ね、アルとエドの「記憶」から呼び戻そうとしたと思うんですね。
この文法から言うと、記憶ってのは精神のどこかにある訳ですが、母親は死者なのでもう思い出しか残ってない。精神は魂と身体が結びついた状態のところに「宿る」訳なので、どーしようもない。だから思い出を引き出そうと二人でがんばっちゃったけど、それはもうアルとエドの精神の「一部」な訳で、それを無理やり剥そうとしたら、身体の方がもげた、と解釈しました。このとき、アルはエドの言うなりに術を使いましたから、多分、エドに取り込まれてしまった。1歳しか違わないけど、術を使うことに対して主体性がなかった為、まるごと飲まれた=エドの中の母親の記憶につかまった、と。
ところでホムンクルスさんたちがつけているのはウロボロスのマーク。尻尾を食らう蛇。昔から出ている答えですが、永遠の命=永遠の死な訳で、タブーを犯すということはこれを取りに行くことだと思うんですね。
で、記憶の伴わない再生なら、沢山あります。普通に子供を生むのがそれです。それ以外では、人の自我というものを保存することは現実的に無理になってます。「我思うゆえに我あり」で、時間的連続体の中で同一の精神が2ケというのはないのです。相手を客観視できる時点で2つは違うものでございます。養老先生に言わせれば、今この瞬間の自分と1秒後の自分はまったく別のもの、という事になります。永野護さんのFSSが20年以上前に個体進化という話やDNAに記憶を埋め込むことは可能なのかということを漫画で描いてますから、ハガレンはそれの系譜なのやもしれません。
さて。この物語のオチってのが、人類補完計画だとおじさんはちょっとガッカリになりますが、まぁ仕方ないでしょうなぁ…。でも玄佑和尚の「般若心経」にも同じような話が出ていたから、21世紀の流行なのかな。東方の術が西方と違うというのもまぁ、含みを持たせているけど、同じ流れだなぁ。
西洋では「神」と「私」(と精霊)の概念が強いけど、東洋では違うからなー。「自然」と「私」(都会の人)になるか、「自然の中に含まれる私」(田舎の人)という考え方。養老先生に言わせれば一生懸命自然から逃れようとするのが現代日本人の心の病って事になるなぁ。「自然の中に含まれる私」でいた方がずっと楽だ。サーフィンで海に浮かんでいると本当に実感できるんだよねぇ。
沖でゆられて照らされて、空と海に溶けていくような感覚と、襲い掛かる波にのって一気に浜を目指す感覚。静と動のコラージュ。都会のビルの中には絶対にない生と死の境界面を滑る感覚。車じゃダメで、自転車で急な坂を下るあの感じに近い興奮こそが生なのではないかと。
養老先生に言わせれば、都会はこの生と死をタブー視して隠しちゃってる場所だけど、結局人である以上そこからは逃れられないという事。あえて隠すからみんな「不自然」な生き方になっちまう。
そういうのが歪んで出てきたのが、エヴァ以降の作品群なのかなぁ。なんちて。正確に言えばオウム以降か。まぁ、エヴァ的オチなら、大昔に滅んだなんとか国はみんなで一緒になっちまえば幸せ~という第一次人類補完計画で、それでもダメなら全部入れちまえというのが今進んでる話で以上、ということか。
人柱。最近、ナルトでも出てきてるけど(笑)、まぁ、漫画アニメ的に言うと、「銀河鉄道999」風味になるんかな。特別に強度が欲しいところに使うって事なんですかね。真実の扉ってのを見てきたらOKみたいですが、要するに身体と魂が無い状態でも自我を保てたら合格という事ですよね。
賢者の石に入っているのは「魂」で、精神の入れ物。精神ってのはすぐどっかに飛んでいってしまうんでしょう。多分天国とかに。1個つくるのに人が一杯必要なのは、生きた人から絞るからなんでしょうね、「魂の隙間」を。隙間を絞って精神1個分の穴をあけた奴が賢者の石。ホムンクルスはそこに擬似精神(7つの大罪と称して、悪のココロばかりを配っているのは、人間の闘争本能=生存本能がそこに起因しているからでしょうか)を埋め込んで作ったもの、と。ふむふむ。
「父」ってのは、本当にキリスト教の影響大ですね。父ちゃん(人)が自分に似せて子(ホムンクルス)を作ったけど、蛇(ウロボロス)の入れ知恵で7つの大罪を背負ってしまうと。ふむ。なんだか、「999」と「火の鳥」のあいの子のような気がしてきたぞ。ま、いっか。なんか新・サイボーグ009も混ざってるぽいけど。
「パイレーツオブカリビアン」は「スターウォーズ」だし、「エヴァ」は「イデオン」だし、面白く再構築してくれれば、それはそれでOKっすよ。
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