« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »

2008/06/29

雨の日は嫌なことをするに限る

 雨ってーとどうも塞ぎこんでしまい勝ちなんですが、塞ぎこんで何もしないと、晴れの日に大事な事をする必要が出て、1日無駄にしちゃったりします。

 てな訳で、昨日館山で故郷パワーを充電したおかげもあるんですが、車の車検出し、長いこと放置していた免許住所の更新をパパっとやってみました。いやー、雨なのに充実した(笑) 先週の帰省でもそうだったんですが、「雨の日はハズレ」思考をちょっとずらしてみると、楽しくなるものです。

 車検に車を出すにしてもディーラーは空いていて、向こうも暇なもんだから丁寧な対応をしてくれます。免許センターも雨だってんで割と空いていて、さっさと終われました。晴れの日にこんなことをやると、余った時間がとても半端だし、どこにも行けないしで却ってストレスが溜まるんじゃないかと。

 こうやってなんとか雨の日を活用している間に梅雨が明けそうですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/28

日帰り館山旅行

 どんよりした天気で寝ていようかとも思ったのですが、同級生からのメールでたたき起こされて(笑)、母校、県立安房高校の文化祭に行って参りました。行きは特急、帰りは高速バスです。高速バスの方が快適だったような気がします。安いし。

 校舎はそれなりに古びていましたが、入学当時新品だったのでそれほどの違和感はありませんでしたね。柔道着やら教科書やらを入れっ放しにしたロッカーも健在で部室も変わらず。FM-7のソフトなんて化石もあって突っ込みを入れたくなりましたが、あの頃と同じ風景を眺められたのは収穫でした。 甲子園初出場・初勝利の後とあって、写真の展示などもあり、来訪者も多めだったのではないかと思います。

 展示内容では、手作りのプラネタリウムが頑張っていましたね、地学部でしたが。私の居た頃は所属していた物理部が学校施設のプラネタリウムを占領していたので、プラネタといえば物理部というイメージだったのですけどね。もうそのプラネタリウムも壊れて使えないそうで残念です。でも、手作りの地学部、頑張ってたなぁ。 短い時間だけど、完結に初夏の夜空を説明していたと思います。

 全体的には出し物よりも露店が増えて、ちょっと手抜き感もありましたが、時代の差って事でしょうね。オマケで開いた物理部プチ同窓会は変わったゲストが加わって面白かったです(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/26

ブッダを読む

 NHK囲碁テキスト3月号の『張ー小林(覚)戦』を並べて、二人の非凡さを確認した後(次の一手がことごとくはずれました。この二人の深く広い読みは私の想像力では及びません)、手塚治虫の『ブッダ』を読みました。

 昨日は天気が良かったのですが今日の雨が予想され、天気の変化で気分が落ち込むのもイヤだなぁ、と思っての事です。この本も繰り返し読む中の一つですが、非常に心が落ち着きます。

 多少のフィクションはあるものの、何もかもに恵まれて、でもそれを失うことを恐れながら生きていた王子シッタルダが、ある日突然一切の欲を捨てて一個の生命として生きる、ただそれだけがこの世に生を受けたものの宿命であるという説明をしてくれると気分が軽くなります。

 悟りを開いた後のシッタルダ(ブッダ)の教えは、ほぼ100%般若心経という、コンパクトなお経の中に含まれています。最近写経がブームとなり、中身を知らぬまま般若心経を書いている方も居ると思いますが、一度中身の解説本を読んでみては如何でしょうか。

 「生老病苦」は生物が避けて通れないものであり、それに抗って苦しんだり悲しんだりすることはまったくの無駄、今を楽しく生きなければ、人の一生なんてあっという間に過ぎてしまう事だと、ブッダは説いています。すべてを自然に受け止めることで、この世に無駄なんてものは無いと教えてくれます。

 また、唯物論的に捕らえているこの世界も、実は自分の主観が物の在り方を自分に都合のよい、あるいは極めて悲観的な考えによって作られた唯心論的な世界である、とブッダは説いています。昨今自殺が増え、規模的には内戦状態と同じレベルで自殺者が出ています。仏教では自殺は否定していません。この世でなすべきことをすべてやった後なら、もう死んでも良いのでは、という考え方です。

 ただ、自分が生きるため以外の殺生を禁じているという事です。短絡的に悲観して何もしないまま、楽しまないまま自殺してしまうことを残念に思うブッダが居ます。

 もっとも、すべての人間がブッダのように悟りを得て、一生をかけてすべき使命を見つけられるとも限りません。自分の器にあった楽しみ方を見つけて、死ぬまでの数十年をどうやって面白く生きるか、それをちゃんと考えないといけないな、と。

 唯物論で考えてしまうと、結局は物欲に捕われて、持って無い事に嫉妬し、失うことに恐々とし、自らをそれらの執念の炎で焼き焦がしてしまう事になります。そうならないように気をつけないといけませんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/25

囲碁の勉強

 98年頃でしょうかね、『ヒカルの碁』でちょっと興味を持って、勉強した時期がありました。その頃は今よりも脳味噌が柔らかかったからでしょうか、一端は強くなったんですが、しばらくやらない間にスッカリ鈍ってしまい、またイチから勉強しています。

 実家に帰れば父や祖父や叔父、みんな囲碁の三段クラスですから、私もちょっとは出来た方がいいかな、と思いつつ、ダラダラと時間が過ぎてしまっておりましたが。

 ある程度ルールはわかっている訳ですから、後は実戦をやるしかない訳でして、その昔はネット碁で負けても負けても頑張ってしまうくらいの勢いでしたが、今はそこまでの闘争心も無く。

 ということで、違うやり方にしました。プロの碁を順番どおりに並べてみています。ただ並べるのではなく、次の手を予想しながら並べる訳です。実際父に聞いてみると、やたらと碁を打つよりは、新聞の囲碁をじっくり見ていた方が上手くなる、との事で、今回の試みはあながち間違いでもなかったかなと。それでも、打たないとダメなことはダメでしょうから、wiiウェアの銀星囲碁でちょっと遊んでます。

 CPUも弱くて私もヘタクソとダメダメな囲碁ですけど、たまに綺麗な棋譜が出来るとうれしいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

読書による悟り

61yo9m42msl__ss400_
 昨年から今年にかけて塩野七海さんの『ローマ人の物語』を読んでいたのですが、いくつか気が付いた事がありました。

・共和制ローマの版図拡大目的は隣人と上手く付き合うこと・合理化を進めること
・帝政ローマの意図は帝国主義の始まりであり富の集中を目指したこと

 というのが私の感想です。共和制の頃はインフラ整備という形で、ITの世界で言えばOSやプロトコルの整備に従事していました。全般的に見ればいいことばかりやったような気がしますが、自国内で収まらない就職口を求めて世界へ出て行ったという事ですね。

 ケルト人たちはドルイド信仰ごと消されかけ(事実、後世で魔女裁判にかけられたのはケルトの巫女が多かったですね)、森を中心とした原始生活文化は破壊されました。合理化というと聞こえが良いですが、それまで上手く機能していた社会の隙間を奪い去ったことになります。

 隙間があると気持ちが悪い、という潔癖症の方もいるのでしょうが、世の中の人間すべてが合理的な思考の元に行動する訳ではありません。そういう状態なら優れた芸術などというものは生まれない。ただ効率的に『生きて』『地球資源を使い尽くす』方向にどうしても動いてしまいます。だから、いくら塩野さんが共和制ローマの良さを説明してくれても、その結果現在の世界が、地方色というものを失って、地球を狭く住みにくくしてしまったと思わざるを得ない。

 一方で富の集中を狙った帝政ローマ。パックスロマーナ、パックスブリタニカ、パックスアメリカーナと、帝国の長こそ時代時代で移り変わって来ましたが、やっている事は同じです。地方にインフラを敷くのとセットで、こっそりその地方の自活能力を奪い、経済的に支配してしまう。

 OSを変えられるというのは苦痛です。日本は過去に2回もOSを変えています。一回目が明治維新ですね。ペリーやらハリスやらが遣ってきて、十分自活できていた日本に開国を迫り、それがために日本はかなりの労力をかけて海外と歩調をあわせねばなりませんでした。徳川時代がベストとは言いませんが、それなりに良い社会で、貧乏でも金持ちでも仲良く暮らせていた時代なのです。それがブチ壊されたのが1回目。

 2回目はもちろん大東亜戦争、太平洋戦争と呼ばれる戦争と、その敗戦から染み出た戦後民主主義の台頭です。明治維新後は、日本も他国同様、アジア各地へのインフラ輸出と搾取を始めます。そうしないと生き残れないような雰囲気を「合理化教」を押し付けられる事でやらざるを得なくなりました。それでも今と違っていたのは、人口はこんなに多くないし、少なくとも第二次大戦前までは日本人は「分を知っていた」と思うのです。やっとの事で日露戦争に勝ったことをさも『神風が吹いた、さすが神国日本』などのようにアジテーションしたマスコミにも問題があります。ただ、独立国としてのプライド、矜持といったものは持てていたし、わざわざ海外から余計な資源を奪い取らなくてもなんとかなる程度の自給自足が国内でまかなえていた時代です。

 が、日露の詳細を知らず、強いと勘違いして世界中に喧嘩を売った挙句、日本はせっかくつくった日本流合理化システムを奪われて、アメリカの一部に組み込まれてしまいます。今、日本を覆っているうつ病ブームや勝ち組や負け組などという悲しい言葉と価値観というのは、その流れから出てきたものです。元々の日本国民感情は『村八分』などの言葉で表現されるように、まぁ、ちょっとした喧嘩があっても仲良くやっていこうじゃないか、という心意気がありました。向こう三軒両隣なんてのも近所づきあいのイロハとしてあったものが、段々と奪われています。自分が勝ち組、負け組のどちらかに入るかでキュウキュウとしている。

 日本人の負け組とか行っても、それほど酷いものじゃない。DS文学全集で明治文学をいくつか読みましたが、この頃から厭世観やうつ病なんてテーマがポロポロ出てくる。それでもなんとかやってこれたのは、勝ち組やら負け組なんていうつまらない価値観が今のように明確にれっきとして宣言されずにいたからです。

 そういうことを知るだけでも人の心のあり方について勉強できます。だから、『ローマ人の物語』を読んで「ああ、ハンニバルってすげー」とか「DS文学全集? 著作権切れの古い本を使った小銭稼ぎでしょ?」などという偏った見方をするのは辞めて、現代日本の異常さについて理解して、決して自分自身がおかしいのではない、と悟ることも必要ではないでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/24

勝ち組とか負け組とか

あんまりいい言葉じゃないと最近特に思います。私自身は世間の基準からすると引き分け組、良く見積もっても「やや勝ち組」程度ですが気にしたこともない。
夏目文学の時代から「上を見ればキリがない」と言われている訳で何も今更始まった事じゃない。
問題なのはマスコミで、人々を「俺は、私は不幸だ」と追い詰めるような記事をここ十数年書き続けている事ですね。
今の年金生活者はそれこそ想像を絶する苦労と貧困の中生き抜いて来た訳だし、程々で満足すれば今の時代はかなり余裕があるはずなんです。
あれもこれもあって当たり前と思うから無いと焦る。これがいけないんでしょうね。
政府の視点もかなりおかしい。今楽しくなくて、老後も保証されない国なんて誰が好きになるだろう。
受験に追いまわされてやっと入った会社では成果主義に追われ、退職しても年金が怪しい。
だからみんな、とはいわないけどせつな的にフラフラする人が後を絶たない。
国には期待出来そうもないですから、個々人がケセラセラ、メメント・モリな感じで行くしか無いですかね?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/22

2ヶ月ぶりの鴨川

Ajisai
 どんよりとした梅雨と旧スバル座の火事跡も相まって、鴨川の町は以前にもまして元気がないように見えました。ちょっと残念。駅の南口はエスカレータも着いたそうで、そこまでは確認できませんでしたが、概観はとても綺麗になっていました。夏の観光客が来てくれるとうれしいですね。

 今年はガソリンの高騰もあって、ビューわかしおで来るお客さんも多そうです。一方、浜辺はというと雨だというのに荒波を期待してかサーファーがたくさん。こんな日だと、昔は地元の人間の物好きしか海にはいなかったものですが、他県ナンバーが目立ちます。

 金土日という滞在でしたけれど、自転車でぶらつく程度でしたでしょうか、それでも十分癒された気がします。都会だと雨って鬱陶しい以外の感想を持ちにくいんですけど、田舎だとまた違うんですよね。木々が元気になって、空気がやわらかくなって、という変化を感じ取れます。都会にいても忘れないようにしないといけませんね。
(写真は房総スカイライン、峰山駐車場で撮った紫陽花です)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/19

田舎暮らし再考

Maebara
 なんとか東京を脱出したいと思っている訳です。『失われた15年』に翻弄された30~40才なりたて辺りの人間は、就職したくても公務員以外で地元には就職出来ませんでした。

 よくわからないまま東京勤務になって、よくわからないまま10年くらい過ぎてしまいました。楽しいこともあったけど、ここ5年ほどは色々と地盤沈下でしたね。ようやく景気が回復してきたらしいのですが実感0です。だって、田舎に帰れば悲惨具合に泣けてきますよ。

 老人しか見かけないし、商店街はつぶれたままだし、大規模郊外店もなんかガラガラ。商店街をつぶした後に大規模郊外店が撤退したら地方はどうなってしまうんでしょう? 私には日本の行く末がまったく見えない(笑)。いや、ぼんやりと、よろしくない未来は見えているのですけど。

 宇宙に出す金があったら、違うことやって欲しいんです、福田さん。上場企業は東京に本支店、事業所もっちゃダメとか、もう強烈な規制をよろしくお願いします(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/15

田舎暮らしに憧れる

 リタイアをした団塊世代でなくても、田舎暮らしへの願望はあります。すでに私の友達でも田舎の工場へ再就職したり、あるいは農林業への転職をした奴が結構おります。

 私もそろそろ東京暮らしに疲れて来て、なんとかUターン出来ないかと模索している今日この頃であります。独身貴族?を慎ましやかに営んできたせいか、貯蓄はそこそこ、あとは手に職さえあれば(事務員とかweb製作とか編集・ライティングなら今でも出来ますが)、スパっと東京を引き払うのもアリかなー、と思っています。

 親兄弟は世間体などを考えて反対するかも知れませんが、どうも東京で日々やっている作業が無駄に思えて来ました。もちろん、まったくもって無駄って訳ではなく、評価してくれる上司も居ますし、かといってボロクソに言う人も居ます(笑)。

 こういうシガラミがちょっと嫌になってきているんですね。もう人生半分近くまで来てしまうと、色々と考えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/13

世に棲む日々

仏教の考え方から言えば、世の中全ては常に変化を続けており(無常)、私が世界と思っている物は、私の脳あるいは心がそう感じているだけのものであります。心配してみたり怒ってみたり。
一方で、鳥も獣も草花も余計な事を考えずただ生きている。なにがあってもただひたすらに自然に生きる。
仏陀のいう悟りって言うのはそういうものでしょうなあ、と半分わかったような気になっている今日この頃です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/12

秋葉原事件を考える

 そりゃ内閣総理大臣が問責決議を受けるような状況ですから、あんまり日本はいい状態ではないです。だからといってこの事件を全部社会のせいにするのは如何かと思う>朝日新聞

 それはさておき。

 昭和一ケタの方々は、最低の状態から人生が始まった。でも、頑張れば、我慢すればそのうちいい事がある、と思って生きた人たちだ。今頃になって後期高齢者と呼ばれて憤慨しているのも当然だろう。戦後復興は自分達がやってきたんだ、という気概のある人たちである。そりゃ怒る。でも、一応頑張りとか我慢とかの結果は受け取っていると思う。少し多めに。

 次の世代が団塊だ。こいつらがとにかく良くない。安保に反対しながらアメリカ式の大量消費に追従したり、せっかくインフラが整備されたのに、なんでもかんでも東京に集めて環境を壊して地方を過疎化させたり、挙句、自分らが年金を貰う立場になったら上の世代の保険を削ってみたりするという、もう最悪の集団だ。しかも、悪いことをやっている意識がないというのが困る。『アメリカだってそうじゃん、勝ち組、負け組で人生が分かれるのはしょうがないじゃーん』くらいに考えている。こいつらは少しの我慢でいっぱい手に入れてる困った人たちだ。

 さて、その後が僕らだ。上はベビーブーム、下はロスジェネ組と実に幅広く、バラエティに飛んだメンバーが揃っている。全体的にオタクが多い。受験戦争とバブル崩壊の中を生きてきたから、お金のかからない遊び方を知っていて内罰的だ。

 僕らは団塊世代が吸い尽くした後の世界で頑張らないといけない。しかも、昭和一ケタと違って0リセットではない。スタート時点で既にマイナス。我慢と努力は強いられるけど、リターンが得られる可能性は限りなく低い。団塊世代のようにアメリカのとてつもない援助があるわけでもない。むしろ日本は諸外国に援助することを求められている。

 自国内の就業率や国民感情が落ち着いていないのに、団塊の見栄っ張り達は海外にドカーンと援助してみたりする。まったくもって理解できない。今の日本はそんなに偉くも凄くもないということをちゃんと理解しておくべきだと思うんですよね。

 今回の犯人の『やってしまった事』については、本当に憤慨しているけど(だって私も秋葉原大好きだし、親戚や友人が理由も無く殺されたら悲しいもの)、団塊世代以降の世代を思うにつれ、いつ誰がどこで爆発してもおかしくないよね、とは思う。今も幸せという実感が無くて、将来も暗くて…、となれば、うまいことガス抜きしないとみんな潰れてしまうと思うんですよね。『十分幸せじゃん』という人もいるけど、そういう人は世間の嫌な部分を見ていないだけだと思うんだなぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/10

グイン新刊とか

また凄い展開になってますね。ま、もう慣れましたけど(笑)
当初からマリウスが好きです。歌と楽器が好きで一人でブラブラするのが好き。チビでも美男子でもないけれど、お喋りでおっちょこちょいで。
急に雄弁になったかと思うとしょんぼりしてみたり…、結構似ているな〜なんて思って応援というか感情移入して読んでます。
イシュトバーンやグインの様に運命と戦う力があるといいんでしょうけど、頑張ってもマリウスですね(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/08

ポジティブ思考

 時々、人間ってやっぱり罪深い生き物だなあ、と思い知らされます。幸せであることに慣れてしまって、いつ来るか判らない次の不幸に怯えて暮らすなんて、随分とアホらしいんだろうと少し反省。その時その時を楽しまなければ幸せなんて永久にやって来ないんですよね。

 ややこしい事の様だけど、つまり今この瞬間を楽しめないんじゃこの先も同じ調子だよね、多分。
人生に無駄な部分なんて無いわな。

 今、自分がどれくらい幸せか判らない人もたくさん居ると思う。囲碁の依田九段は『生きてるだけで丸儲け』という言葉を座右の銘?にしている。そりゃそうだ。生きていれば何があるかわからない。悪いこともあるだろうけど、いいこともあるかもしれない。今を維持して少し上に上がることばっかり目指していると辛いだろうけど、少し凹んで戻ってきた辺りでも十分幸せかも知れない。

 子供の頃は大抵誰でも幸せだ。親の庇護の下、ほとんどの心配事無しに暮らして行ける。大人になった瞬間からだんだんとそれらを自分で解決せねばならなくなる。世話になった親を今度は面倒見る番になることもあるだろう。でも、そういうのを見るのが嫌でパラサイトとかフリーターとかについ逃げてしまう。いつか神様がやってきて自然に幸せにしてくれる日を待って。

 『いつかなんて日はいつだ?』とパプワ君か何かで読んだ覚えがあるけど、実感する今日この頃です。読んだ頃はガキだったので意味が判りませんでした。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008/06/06

うむ

 ちょっと凹んだけど、なんとかリカバりました。一生事故に巻き込まれない人間なんていないものね。人生を長い目で見て、その上で死ぬまでなんてあっという間と逆に短く考えてみると、今のこの悩みなんて、ほんと一瞬の出来事なんだろうな、と思う。

 一昨年の冬もこんな感じで凹んで、穴倉から出てくるのに大分時間がかかってしまったけど、少しは耐性が付いたように思う。自分で気が付いた訳ではなくて、養老先生の本やゲンユウさんの本、その他もろもろの本を読んでいて、いかに今まで自分がつまらないものに固執していたのか、痛いほど思い知らされました。

 うれしい、って思うのもほんの一瞬のことだし、悲しい、つらいと思っているのも一瞬のことで、それもほとんど自分の観念が引き起こす物だと思うと、いわゆる煩悩を消す作業に入れる訳でして、そうなると小さいものですがココロの中に「悟り」みたいなものが芽生えます。

 仏教で四諦という奴だけど、誰でも老いて病気になって死んでしまうのは避けられないのだから、それよりもずっと小さいトラブルなんていちいち気にしていてはいけないのだなーと。起きてしまった事実は事実として、次の瞬間に備える。これだけですよね。

 難しいことだけど、そういう心がけでいようとしている今日この頃です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/05

気は抜けないなー

 どうも近頃、気を抜くと不幸君が襲ってきます。bearing
今回はそれほど騒ぎにならない感じで収束しそうですけど。

 週末は厄払いに川崎にでも行きますかね(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »